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【アラベスク】  第11章 彼岸の空



第2節 夕闇の十字路 [12]




 慎二の挑発にも軽く目を細めるだけで完全無視の智論。
「拗ねてるのでなければ、開き直っているだけ。自分は可哀想な人間だってね」
「別に自分を哀れだと思った事はないさ。哀れだというのなら、それは俺に媚を売ってくる女どもの方であって、そういう輩が徘徊しているこの世界の方なんだからな」
 そうして、やおら背凭れから身を離し、少しだけ智論へ向かって身を乗り出す。
「ただし、これだけは言わせてもらうぜ」
 眉を寄せ、口元を吊り上げながらも厳しい視線で智論を睨む。
「俺が今までどれほど女どもに虚仮にされてきたのか、それはお前も知っているはずだ」
 知らないとは言わせない。
「女は馬鹿だ。狡猾だ。純粋で一途な仮面を被って人を弄ぶとんでもないバケモノだ」
「そうじゃない人間だっている」
「どこに? 俺はお会いした事もないな。それとも」
 そこで慎二はふと思いついたように一度視線をあらぬ方角へ向け、だが次には悪戯でも企んでいるかのような眼つきで笑いながら、右腕を智論へ伸ばす。
「お前がそうだと言いたいのか?」
 まるで幽霊のそれであるかのような、フラフラとした動きで智論に近づく白い指。
「お前が、俺を本気で想ってくれるのか?」
「っ!」
 乾いた音と共に指が弾き飛ばされる。だが慎二は、叩かれるままに右腕を宙に漂わせる。むしろ叩いた智論の方が右手を擦って一歩下がる。
「馬鹿にしないで」
 頬が、少しだけ紅潮している。
「人を弄んでいるのは慎二の方よっ!」
「違うな」
 慎二は再び背凭れに身を預ける。長い足を優雅に組み、右足首を一度プランッと振って肘掛に右腕を乗せる。そうして気怠るそうに視線を窓へ向けた。
「これは、正当防衛だ」
 陽射しが暖かい。そのあまりに対照的な二つの存在に、智論は唇を噛む。
 昔の慎二は、このような陽射しが良く似合う人間だった。
「おバカな女どもから身を護るための、正当防衛だよ」
 相手の言葉に反論しようとし、だが智論はやめる。このような事は今までにも幾度となく繰り返してきた。自分の言葉で慎二が今すぐ改心するとは思えない。
 悔しさや情けなさ、自分の無力さに智論はもっと強く唇を噛み、そうして無言で勢い良く身を反転させ、部屋から飛び出して行った。





 ツバサさん、あなたはいったいナニをやっているのですか?
 何って、そりゃあ唐草ハウスで子供達とおやつのクッキーを作ってて……
 だがツバサは、そこで呆れたようにため息を吐く。
 そう、ツバサは確かに先ほどまで、唐草ハウスの台所で子供達とおやつのクッキーを作っていた。
 作り慣れたはずのクッキーだが、頭はさっぱり上の空。分量以上の卵を割ったり、砂糖と塩を間違えたり。
 見兼ねた同じボランティアの男子が、庭でも散歩してくるよう気を利かせてくれた。
 あれじゃあ、邪魔してるだけだしね。
 唐草ハウスの庭は、秋の夕日と子供達のまいた水で鮮やかに、だが静かに落日を迎えようとしている。
 あぁ、もう夕方か。今日も一日忙しくって、あっという間に過ぎちゃったな。
 悩んでいるヒマすらなかった。
 今のツバサには、逆にそれが幸いにも思える。こうやって一人で静かに過ごしていると、どうしても気が滅入ってしまう。それが嫌で、ツバサは思いっきり息を吸った。
 持ち主である安績(あさか)の趣味なのか、所狭しと植えられた植物は一見無秩序のようで、だが鬱蒼(うっそう)とした不気味さは感じられない。ひとところに固まって植えられた女郎花(おみなえし)の黄色など、かなり鮮やかで目に眩しい。
 入り口の辺りには背の高い木々も植わっているが、中に入ればほとんどの背丈は低い。それらが秋の風を受け、不規則に身を揺らしている。その嫋娜(じょうだ)なさまを見ていると、なんとなく心が落ち着く。
 庭の奥には池があり、昔は水も豊かでザリガニ取りなどもできたそうだ。だが今は水も干上がり、底も植物に覆われつつある。
 この辺りは住宅街で、最近では高級マンションなども建設されている。美鶴が入居しているマンションもかなりのものだろう。行ったこともないし場所も知らないが、インテリ臭くて気に入らないと金本聡がボヤいているのを聞いた事がある。そのようなものが建つということは、この辺りが比較的住みやすく、居住場所として人気のエリアだからではないかと思われる。そんな場所にあって、池が存在するほどの庭を有した家を持つというのは、なかなか簡単な事ではない。
 きっと安績は、昔からここに住んでいたのだろう。結婚はした事がないと言っていたから、唐草ハウスは生家なのかもしれない。
 今ならまだしも、安績さんの歳で未婚っていうのは、ちょっと珍しいんじゃないかな。
 そう考えて、唇に手を当てる。
 もっとも、安績さんが何歳かなんて、知らないんだけどね。
 幼い子供たちが無遠慮に歳を尋ねることもあるが さぁ いくつでしょう? 当ててごらん? などと言ってうまいことはぐらかしてしまう。
 ちょっと茶目っ気があって、かわいいんだけどね。
 一人でフフッと笑いながら、ブラリと庭をまわっていると、木陰に人影を見つけてしまった。
 安績だった。
 ツバサには背を向け、隣の家との境になっているブロック塀と向かい合う。







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